日々草の唄

死ぬまで生きる日々のようす

澁澤龍彦『幸福は永遠に女だけのものだ』

印象に残った言葉メモ★



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私たちに無償で提供される視覚のエロティシズムは,
ほとんどすべて,
水割りウィスキーのように薄められたエロティシズム,
疑似エロティシズムでしかないのである。
                 (P33 セックスと文化『幸福は永遠に女だけのものだ』)


もちろん,現実の男女関係は,心理的にきわめて複雑な反応を呼び起こすものであって,
一概に処女性のタブーのみによって説明されるとは限らない。しかし,最初に処女を
捧げた男をどうしても忘れられないという女心には,単に恋情とか愛情とかいうだけでは
割り切れない,もっと痛切な欲求に裏付けられた,どろどろした暗い衝動があるのでは
なかろうか。それは彼女たちの表面の意識には決して上ることのない,一種の復習衝動
ではないだろうか。
                 (P53 わたしの処女崇拝『幸福は永遠に女だけのものだ』)


本当の意味のエロティシズムとは,空想の余地を残したエロティシズム,
全部をさらけ出すのではなく,暗示することによって,
かくれたものを想像させるエロティシズムである。
およそ羞恥心のないところにエロティシズムはないのである。
羞恥心とエロティシズムはいつも手をつないでいる。
                 (P70 乳房,たまゆらの幻想『幸福は永遠に女だけのものだ』)


マリリン・モンローは,決して支配するタイプではない。
彼女はヌードになってもヌードになることの恥じらいを知っていたし,
大スターになっても,全ての者に平等に微笑みかける,
天性のサーヴィス精神を忘れたことがなかった。いつも弱い者の立場にいた。
そういう女性は少なくなりつつある。
「弱き者よ,汝の名は女なり」
という聖書の文句を,一生涯,無邪気に掲げ生き,
最後に耐え切れなくなって死んだのが,マリリン・モンローという女の中の女である。
                 (P110 モンロー神話の分析『幸福は永遠に女だけのものだ』)


美術鑑賞の仕方も変わったものだな,と私は考えざるを得なかった。
鑑賞の仕方ばかりでなく,内容も変わったのだ。
それは水割りウィスキーのように,エロティシズムを水で薄めて大衆化してしまった。
                 (P155 怪獣とエロティシズム『幸福は永遠に女だけのものだ』)


おそらく,あらゆるユートピアは退行の夢である。
テクノロジーは退行の夢を促進させる。
すでにして私たちは,エロティシズムをも,
愛すべき怪獣として馴到してしまったではないか。
また何をいわんや,である。
                 (P157 怪獣とエロティシズム『幸福は永遠に女だけのものだ』)


つまり,男の幸福にはゾルレン(意思)の要素が強く,
女の幸福はザイン(存在)そのものだというわけである。
女に生まれたということが,女の幸福の第一歩なのである。
              (P165 幸福は永遠に女だけのものだ『幸福は永遠に女だけのものだ』)


たとえ貧困とか病気とか失恋とか,
現実的な生活のなかで泥まみれになって不幸を味わっていたとしても,
女は美しく,しかも愛に生きてさえいれば,不幸ではある得ない,
というのが私の信念である。
              (P167 幸福は永遠に女だけのものだ『幸福は永遠に女だけのものだ』)


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澁澤龍彦さんの本は,
澁澤さんというどこか少年ぽい博識な紳士が
棚からふと本をとって見せてくれるような感覚になるのは自分だけでしょうか…

この本は,澁澤さんの女性という存在への愛を感じた一冊でした。
が,男性が女性を語るのと女性が女性を語るのとでは,
やはりロマンティックさが違うなぁと感じた次第であります★

そして,女性が男性について語っても
なんかロマンティックさに欠けるような気がするのですが自分の偏見ですかね?
そう考えると,男性の方がロマンティックなのかなぁ,やはり。
まぁ,男女で分ける必要性もないのでいいんですけど。


話が変わって,女の身体は奥深いところで色んなどろどろとしたものを内包していると感じます。
だからこそ,美しさもあるんでしょうけど★