日々草の唄

死ぬまで生きる日々のようす

好きな人やものが多過ぎて



今の気分にとても合ってる。
怖いことは、ビビりなので、たくさんあるような気もしますが。

粘土を弄って、唸って、散歩や食事をして、お風呂で本を読んで、粘土を弄って、寝るのエンドレスの生活に憧れます。
そんな生活を追い求めている自分の人間に対する器はとても小さいと思います。
小さい分、好きな人が少しずつ増えている自分に、我ながらちょっと驚きます。

最近、色んなものをどんどん失っていっているような気がします。
具体的なことはよく分らないのですが、感覚だけ。
その喪失は、切なさも感じますが、研ぎ澄まされるような、透き通っていくような、静かな諦念とともに起こります。
最終的に死ぬことで、自分は全てを失うのですが、実体を失うことで全てを得るような気もします。
そのころには意識とゆう概念も曖昧な次元ですからね。
そして、この話は全て「そんな気がする」だけです。

好きな人とずっと今のように会えることは難しくて、それは心理的な問題もあれば、物理的な問題や互いの立場であったり、色んなそのときどきの状況が大きく影響すると思う。
自分の心も人の心も、自分やその人を置く状況も、刻々と変わっていく。
だから、そのとき会えていることだけが全てなのだと思う。

自分の身体は粘土を弄るためだけにあるだけではないのです。