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日々草の唄

死ぬまで生きる日々のようす

時よ、終われ



自分という意識の中で、「かけがいのない存在」というのは、自分以外はない。
全ては代替可能。
たぶん論理的には。。。

そのある人がいなかったなら、そのある人の代替となりうる存在がいることでしょう。

代替可能でないのは、一緒に時を過ごした事実なのか、時間の積み重ね?
自分という代替のきかない意識の中の記憶や執着?
よく分らない。

「今」は終わりの連続で、「今」だけを大切にする関係というのは、終わり続けているのだと思う。
でも、そんな関係も嫌いじゃない。
むしろあの日々、自分は、それが全てだった。
アイシテル。